娘の入学式の日に、思い出した昔のこと。

今日は、娘の高校の入学式でした。

 

僕も娘の晴れ姿をちらっと見に行きたかったのですが、

コロナの影響もあって

参列者の人数制限がされたので、

妻だけが見に行くことになりました。

 

僕は留守番ということに。。。

ま、だいたいそうなるような気がしてましたが。

 

 

早いもんで、

あんなに小さかった娘も

もう高校生か~

と、

これまでのことをしみじみ思い出してたのですが、

 

 

ふと、

僕自身のこと、

自分が高校に入学したときのことを思い出せないことに

気が付きました。

 

あれ、

自分の高校の入学式ってどんなだったかな?

 

思い出そうとしても

ほとんど思い出せない。。。

 

高校ばかりでなく、

 

小学校も、

中学校も、

大学も、

 

入学式が思い出せません。

 

では、

卒業式はというと、

 

なぜだか

小学校の卒業式は鮮明に思い出せます。

小学校のときのことはよく覚えています。

たぶんあのころのことが

僕のベースになってるんだと思います。

(またどっかで書くかもしれません。)

 

で、

中学校の卒業式がいまひとつ思い出せない、、、

高校の卒業式もなんだか。。。

 

大学にいたっては、

卒業式にすら

行ってません。

 

でも、

当時のことは

いまだによく覚えています。

 

大学の卒業式に行ってないことを思い出せるのは、

そのころに、

卒業旅行と称して

一人旅をしてたから。

 

たしかそのころは

ルーマニアの首都ブカレストにいて、

僕が卒業できるのかどうかを

国際電話をして確認してました。

 

もし卒業できていなかったら、

(卒業できる単位を満たしていなかったら、)

速攻で帰国しなければなりません。

 

帰国してすぐに追試とやらを受けないと、

せっかく内定をもらっていた会社に

入れなくなってしまうからです。

(いろんな人に迷惑をかけてしまうのはイヤだなと。)

 

 

 

電話口で

「卒業できてたでー」

と母親から聞いて

一安心したのを覚えています。

受話器の前でガッツポーズをしてました。

 

そのときは、

母親にわざわざ大学まで行ってもらって、

卒業できる人が載っている名簿(ボード?)に

僕の名前(番号)があるか

確認してもらったのですが、

 

今から思えば、

 

そんな僕のわがままに

よくまあぁそこまでしてくれたなぁ、と

ほんとに感心します。

 

卒業できるかどうかが心配だった大きな理由は、

1回生から3回生までの間、

1回生のうちに本来とらないないと進級できない科目の単位が

ずーっと、とれてなかったから。

(単位数もギリギリでしたが。)

 

これだけは必ずとりなさい、

という必須科目に「簿記論」(簿記3級程度)があったのですが、

1回生から3回生まで

ずっと「×」でした。

 

ただ、僕が通っていた大学には

仮進級という誠にありがたい制度があったので、

いちおう「仮の4回生」ということに

させてもらってました。

 

でもさすがに、

必須の「簿記論」が「×」のままで

「仮の卒業生」になることまでは認めてくれないので、

東欧の一人旅を楽しみつつも

やはり卒業が気がかりでした。

 

 

そんなヒヤヒヤとした出来事があったので、

大学の卒業式のころのことは

今でもよく覚えているのだと思います。

 

 

本日の、

娘の高校の入学式をきっかけに、

僕はずいぶん好き勝手してたよなぁ、

と思い出した次第です。

 

で、自分は好き勝手やってたくせに、

もし娘が卒業式のときにふらふらしてたらどうするか。

 

母親が僕にしてくれたように、

わざわざ卒業予定者の名簿を確認しに行ってあげられるかどうか。

(今では名簿を貼りだすなんてことないかもですが。)

 

 

いまや親の立場となった僕の懐は、

そんなに広くも深くもないような気がしてます。

 

 

ご覧いただきまして誠にありがとうございました。