ついつい記事を見ちゃったとき

パソコンを立ち上げて

ヤ〇フーなんかを開くと、

ついつい、記事を2、3個ほど

読んでしまうときがあります。

 

このムダな?時間をはじめからなくしてしまおう、

ってことが、今回の話ではなく、

 

今回は、その記事にくっついている

ヤ〇コメまでを見たときの捉え方に関してです。

 

 

記事を読んじゃったからには、

ちょっとくらい何かの足しになるようなところもあるかな、

という方向に持っていこうかなと。

 

とは言っても、

その方向性は、

あぁ、(ムダに)読んじゃった、、、

という自分を

後付けでもいいから、

正当化するためのものなんですけどね。

 

 

 

記事を読んだときに、

いちおう自分なりの感想を持つんですよね。

 

自分はこう思うとか。

自分の意見はこうだとか。

 

普通に、

読んで、

損しました、終了、

とかも結構あるので、

毎回それほど深くその記事の内容について

考えているわけではないのですが、

 

サラッとナナメ読みで流すときでも、

〇か

×か

くらいの感想を持ったりします。

 

そして、

その記事についての自分なりの感想を持ったうえで、

その記事の下にくっついている

読者からのコメント(ヤ〇コメ)についても、

ざっと流して見たりします。

 

ココには総じてあまり品のいいコメントが載っているわけではないのですが、

僕としては、

そのコメントをバロメーターにすることもあります。

 

自分の〇か×かの感想が

コメント全体のどの位置にあるのかな、

みたいな感じのバロメーターです。

 

 

たとえば、

自分の感想とは違う、真逆の品のないコメント(と、そのイイねの数)が多ければ多いほど、

そのぶん、

ああ、自分の感覚は間違ってなかったんだ

みたいな感じで、

安心します。

ソノ場所で自分が少数派だと

ちょっと安心するのです。

 

え?僕

天邪鬼で、

へそ曲がり?

って感じですけどね。

 

 

というのも、

これは、

記事に”煽られていない”

ということに

重きを置いたときに発動する評価としているからなのです。

 

 

逆に、不安になるのは、

コメントがほとんど僕の意見と同じようなとき。

 

そんなときには、

ん?ちょっと待てよ。。。

と、心配になって、

立ち止まったりするときがあります。

 

なんか見落としてないかな、とか。

シッカリと煽られたかな、とか。

 

まぁ、結局、

ソコに長居すると時間がもったいないので、

いちおう記憶の引き出しのどこかにいれて、

ポチッと閉じておしまいなのですが。

(引っ張りません。)

 

 

 

記事を書くには

それなりに意図があって、

持っていきたい方向に読者を持っていけるように

仕組んでいるはずなんです。たぶん。

だから、僕は鵜呑みにしないようにしている、

って話なんですけど。

 

世論とか多数とかって、

(必ずしも)正しいわけではなく、間違っている(こともある)、

というようなこと聞いたことがあります。

つい最近もお偉いさんのそのような発言を、

どこかで耳にしました。

 

僕も今まで、ニュース記事がすべて正しいという前提では見てませんでしたので、

そのお偉いさんの発言自体は、

まぁ、そりゃそうだよな、

って感じです。

(↑問題の是非の話ではなく、そりゃそうだよな、って意味です。)

 

ちなみに、

会社経営くらいのレベルで考えれば、

これは当たり前ですから。

世論(従業員の多数決)なんかで経営してたら、

おそらく結構な数の会社は倒産してるんじゃないでしょうか。

 

 

このように、

へそ曲がりと言われかねない僕ですが、

 

投稿されたコメントと僕の感想が、

ほぼ完全一致するときがあります。

 

それは、

その記事が

たとえば、

国家間(外交)の問題とか、

オールジャパンのスポーツ応援のときなどです。

 

そのようなことに関する内容の記事のときには、

僕のへそ曲がりは

まず発動しません。

 

 

僕はやっぱり、

”日の丸”

を大切にしているんだな、

ということなのでしょう。

 

みなさんはいかがでしょうか?

ニュースと一致しているでしょうか?

 

 

ご覧いただきまして誠にありがとうございました。