その向こう側にいる相手の顔を思い浮かべるとき

なにかものを買うとき、

なにかサービスの提供を受けるときに、

その向こう側にいる相手の顔を思い浮かべることがあります。

 

 

”お金の使いかた”の話にもなるのですが、

 

なにかモノを購入したり、

なにかサービスの提供を受けたりするときに、

その向こう側にいる相手の

喜ぶ顔を思い浮かべることがあります。

 

 

なにかモノを購入したり、

なにかサービスの提供を受けたりするときに、

常に、ネットで、

同一のものを

1円でも安く売っている店を検索するのも、

 

商売をしている人にとってみれば

一つの経営方針であり、

 

商売をしていない人にとっても

一つの購入方針であり、

 

これが特に間違っているわけではありません。

 

 

同じものを一番安く提供している店をネットで検索することで、

このコロナ禍に外に出なくてもいいし、

配送もスムーズにされますし、

よいことがたくさんあります。

 

利益の最大化、

コロナ回避、

スピード優先というのなら

大正解だと思います。

 

 

それが大正解だと認めたうえで、

 

あえて、

ということなのですが、

 

もし、自分が、

ビジネス上のつながりで何らかのグループに所属しているとか、

何らかのつながりがあるのなら、

 

どうせ同じものを買うのなら、

そのつながりのある人から買おう、

とか、

そのつながりのある人がイラストレーターなら、

その人にイラストを依頼してみよう、

とか、

そのつながりのある人がコンサルをしているのなら、

その人に相談してみよう、

とかを思うときがあります。

(自分の要望とマッチしていることが前提です。)

 

 

べつに何かのグループに属していなくても、

 

同じ通りに軒を並べる店からものを買おう

とか、

同じ地域の店に発注してみよう、

とかもあるとおもいます。

 

ほかにも、

他の人のブログを拝見して、

いい情報を提供してくれたと思ったなら、

(感謝の気持ちを込めて、)

そのブログに貼り付けられたリンクから購入してみよう、

とか、

 

なにかネットで注文をすることが決まっているのなら、

その人のブログに張り付いていた広告から注文してみよう、

とか。

 

 

まあ、

そういうことです。

 

これが多少高くついたとしてもです。

 

多少の差が、

許容できるかできないかは、

そのときの自分の感覚次第でしょう。

 

 

人それぞれだと思いますが、

 

僕は、

このように、

なにかものを買うとき、

なにかサービスの提供を受けるときに、

 

いつもではありませんが、

 

その向こうにいる相手の

喜ぶ顔を思い浮かべることがあります。

 

その人の顔がリアルに見れなくても大丈夫です。

あえてその人に自分の行為を知らせたりもしません。

 

喜ぶ顔を思い浮かべることくらいなら、

難しいことではありません。

意識するか、しないか、

それだけの違いだと思っています。

 

 

 

ご覧いただきまして誠にありがとうございました。

 

 

 

このようなことしてその先に何か得なことがあるの?ではありません。

お分かりいただける人にだけお分かりいただければ、と思います。