見よう見まねでマネすることからはじめてみる
理解できないものはマネをして上達させる
原理原則が分からないものって僕にはたくさんあります。
というか、世の中のもののほとんどのことは
人類には理解できません。
表面上は法則とか公式とかが成り立っていますが、
そこから一歩、
なぜ?
と踏み込むと途端に分からなくなるでしょう。
一歩程度ならもしかしたら分かるかも(分かるというよりは次の表面が出てくる程度でしょうけど)しれませんが、
それが、二歩、三歩となると、
人類の領域ではありません。
神の領域というのでしょうか。
宇宙の構造なんてその最たる例だと思います。
あ、べつに宇宙のようなとんでもないことの話がしたかったわけじゃなかったので、
僕が考えていることの方向にはなしを戻しますが、
身近な人のことでも、
分からないことなんてたくさんあります。
あんなふうになりたいな、
どうやったらなれるんだろう、みたいな。
なぜあの人はかっこいいんだろう
なぜあの人は話が面白いんだろう
なぜあの人は仕事ができるんだろう
なぜあの人は文章を書くのが上手いんだろう
なぜあの人はゴルフが上手いんだろう
なぜあの人の歌声は人を引き付けるのだろう
なぜあの人の英語はネイティブみたいなんだろう
なぜあの人はモテるんだろう
なぜあの人は宝くじが当たるんだろう
なぜあの人は金持ちなんだろう
なぜあの人は本を読むのが早いんだろう
・・・
ほかにもたくさんありますが、
このような、表面的には自分との違いが分かったつもりでも
実際にはよく分っていないものに取り組むときにはどうすればいいのか。
僕は、そんなときには、
まずは見よう見まねでマネすることにしています。
やるまえから疑心暗鬼になりすぎずにおこう、
と気を付けるようにしています。
もちろん、本当にそうなりたいと思えるということが
前提にはなりますが。
そうなりたいと思えることが最初にあります。
それで、”あんなふう”になりたいな、と思ったら、
ひたすら”あんなふう”をマネしようと思うようになりました。
昔でいう写経や朗読は上達の第一歩だと思います。
(第一歩でありながら、じつは極意であったりもしますが。)
習うより慣れろということでしょう。
必ずしも全部を理解しようとしなくてもよいと思います。
そう思えるから、挫折もしないでしょうし。
挫折せずに続けているうちに、
少しずつでも
”あんなふう”
に近づけていければいいと思っています。
それで、
ふと気がついたら、
”あんなふう”
から、
”こんなふう”
と言えるようになってるってこともあるんじゃないでしょうか。
ご覧いただきまして誠にありがとうございました。