過去記事の一部を書き換えたいなぁ、と思った件

ブログで自分なりの思いや考え方を記事にしたのはいいけど、

後になってその自分のブログを何気なく読み返してみると、

なんだかムズムズするなぁ、というときがあります。

というか、

先週末に、まさに僕はそのようなムズムズ状態になりました。

 

なんの話かと申しますと、

かなり最近の記事になるのですが、

 

「見よう見まねでマネすることからはじめてみる」

とか、

「一人で「守破離」をやってみる」

という記事を僕は書いたのですが、

その中で、

「人のマネをしたらいい」

と僕は書いていました。

 

まあ、事実として、マネしたとしてもいいなとは今でも思うんですが、

なにが僕自身ムズムズしたかというと、

この「マネ」という言葉に品がないなぁ、

と。

せめて、

参考にさせていただく、とか、

気づきがある、とか

よいヒントをいただいた、などなど、

ほかにもっとマシな言い回しがあっただろうなと、

今になっては思うのです。

 

気の使いすぎかもしれないのですが、

この言葉(→マネ)を連発すると、

・なんだか自分自身に卑しさを感じてしまったり、

・仮に使われた人の身になるとなんか気分を害してしまうんじゃないか、という気がしてきたり、

・そもそもほかの誰かのことをちゃんとマネすることができるのか?という、そもそも論にも行きついてしまったわけであります。

 

自分だったら過去に僕自身がマネされたときには鼻高く喜んでいた記憶もあるのですが、

それもケースバイケースといえるでしょうし。

 

そんな気がして、

先週末はムズムズしておりました。

 

だから、今後は、ここではその言葉は同じような文脈のときには使わない言葉にしよう、

ということで、

僕の中では整理をつけました。

 

それじゃ、過去記事は書き換えるのか、

それじゃ、どのように訂正すればいいのか、

ですが、

過去記事を書き換えたところで過去記事なんて再読されることもあまりなさそうですし(ほんとは書き換えだけで済むのなら書き換えればいいのでしょうが)、

訂正といっても、たとえば新聞の訂正記事のように紙面の隅っこに小さな枠を設けるような形(ここでは追伸という形)でちょこっと書いておくようなこともしたくはなかったので、

今回、

1つの記事にしておくことにしました。

 

今後、僕はその言葉の使い方には

注意するということです。

 

このように、

もしかしたら今後も、

自分の考え方(使う言葉)に変化が生じるということも起こりうることかな、と思います。

(今回は早すぎですが。)

 

まあ、ないに越したことはありませんが、

朝令暮改ができるということも、

独立したことのメリットだと思いました。

 

 

 

 

ご覧いただきまして誠にありがとうございました。