達成感の先取りに注意しなければならないとき
徹夜して仕上げたものとか、
連日身を粉なにして打ち込んで頑張ったとか、
こういったことのあとには、
達成感を得やすいと思います。
よくやったね、と。
よく頑張った、と。
しかし、
自分なりには達成感はあっても、
成果については、それとは別ものです。
達成感のあるもの
イコール
成果があるものや、
評価が高いもの
とは、
必ずしもなりません。
達成感があっても
全く成果がなかったものもありますし、
評価されないものもあります。
逆に、
自分ではさほど達成感がなくても、
成果がでたものや、
周りからは高評価のものもあったりします。
趣味の分野とか、
ひとりの芸術の分野とか、
そいったものであれば、
達成感や自己満足も、それ自体が自分自身にとって
重要なポイントになってくるとは思います。
実際、僕は過去に、
好きな漫画や
シリーズものの映画や、ドラマを徹夜して観終えたときには、
達成感も高揚感もありましたし、
また、
深夜のうちから早々と車で移動して、
早朝から目的の魚釣り場ポイントを確保して竿を出せたときには、
それだけで、その日一日満足していたものです。
たとえそこでボウズになろうとも、です。
あくまでも自分の趣味の世界なので、
自分だけの達成感、自己満足であっても、
なんの問題も生じません。
しかし、趣味とは違って、
達成感や自己満足では足らないものがあります。
とくに、仕事については、そうでしょう。
成果や、評価こそが重要となってくるような場合には、
達成感や自己満足だけでは足りません。
だから、
このような成果や評価こそが重要なものについては、
よくやった、とか、
よく頑張った、とかいう達成の基準を
仕事の成果や、
第三者の評価などのあとで判定しなければならない、
と思っています。
(成果や評価の判定基準はここでは省略です。)
つまり、
成果があり、評価や感謝をされて、
はじめて
あとから達成感もついてくる、
みたいな感じがいいのかなと。
達成感を得るのはあとからにすることにして、
達成感の先取りをしないということです。
達成感の先取りには、
注意しないといけないときがあると思っています。
ご覧いただきまして誠にありがとうございました。