考える時間の効率化はできなくても、ずっと考えていられることはできている

システム化(自動化)をしたり、

ときには外注化をしたりして、

時間の短縮や、効率化を図れることがあります。

 

また、単に慣れた、経験を積んだ、ということでも

時間の短縮を図れたりもします。

 

時短には、効率化や経験が有効なのですが、

 

その一方で、

 

僕には、

なかなか効率化が図れていない、

時間短縮が図れていない、

と思われる分野があります。

 

それは、

「考える」

という分野です。

 

「考える」ことを

短縮することができていないのです。

これは、

優柔不断なためになかなか決められない、

といったものとは

全然別モノであり、

 

モノゴトを考えている時間の効率化がうまくできていない、

ということです。

モノゴトには、仕事のこと以外も、もちろん含まれています。

 

この「考える」というものは、時短がうまくできずにいて、

結局、僕の場合、

夕食中や、トイレの中とか、お風呂の中にまで持ち込んでしまいます。

 

いつもそれらの場に持ち込もうと思って持ち込んでいるわけではなく、

ふと、その場面(シャンプー中とか)で、

なにかが分かったりすることが多いのです。

(そこであわててメモをとったりしています。)

 

 

たぶん、

仕事の効率化(システム化や外注化など)が図れると、

考える時間がもっとたくさんとれるのでしょう。

 

考える時間がたくさんとれればとれるほど、

仕事の効率化に関することも含めて、

たくさんの前進が更にあるのでしょう。

 

もちろん、

たくさん考えるためには、

たくさんの本を読んだり、

多くの人と話をしたり、

たくさんの勉強(もちろん税法も)をしなければなりませんが。

 

効率化ができると

それらのことも更にたくさんできるのでしょう。

相乗効果ですよね。

 

 

逆に、

仕事の効率化が図られなければ、

考える時間もそのぶん短くなり、

 

考える時間が短くなれば、

そのぶん効率化がなかなか図れない。

 

・・・

 

こんな構図になると思います。

 

 

なんだか、

ニワトリが先か、タマゴが先か、

みたいな話になってきましたが、

 

僕の場合は、どうやら、

お風呂場でのシャンプー中に

タマゴが産まれることが多いみたいです。

 

結局、

1年、365日

仕事から離れていても、

知らず知らずのうちにですが、

何かしら考えているということなのでしょう。

 

会社勤めの人にとってみれば、

僕のことを気の毒に思うのかもしれません。

いつもだなんて、、、

かわいぞうだな、と。

 

たしかに、

自分が会社員だったころを思うと、

僕は自分のことを気の毒に思っていた”かも?”しれません。

 

しかし、

僕は、今では逆に、

お風呂の中の時間ですらも無駄にはしていないことがわかってきたので、

むしろ、なんだか安心してきました。

 

 

冒頭のところでは、

 

モノゴトを考えている時間の効率化がうまくできていない、

ということが僕の悩みっぽくもあったのですが、

 

いまや、それをあせって心配する必要はなく、

 

モノゴトを考える時間の効率化はなかなかできないことではあっても、

考えていられる時間を増やすことについては不可能ではない、

と、とらえればよいことなのだと思います。

 

無意識のうちであってもいいので、

僕は、毎日いつでも考えていたい、

と思っています。

 

 

 

 

ご覧いただきまして誠にありがとうございました。

 

無意識のうちにもずっと考えていられる、

ということは、

幸せなことだ、と思います。