”なにか”のこと”誰か”のことを思い浮かべて書くときの言葉遣い

言葉の選び方には注意をする。

 

 

今回は、自分に対する発信みたいなものです。

 

僕が記事を書くときには、

たいてい、

”なにか”のことや、”誰か”のことを

頭の中に思い描きながら書くことが多いのですが、

(今回、その”誰か”は、僕自身ですが、)

 

その、”なにか”や、”誰か” のみ、

頭の中で思い描いている対象のみに対しては、

うんうん、その通りですね、

とか、

なるほど、

とか、思っていただけるようなことが書けたとしても、

 

それとまったく同じ記事を、

頭の中の”なにか”とか、”誰か”とかとはぜんぜん関係のない、

またべつの人がご覧になられると、

うんうん、

とか

なるほど、

では済まされないことが起こりえます。

 

いや、それはぜんぜん違う、

とか

その言葉遣いは根本的に間違っている、

というふうに受け取られることもありますし、

ひどいときには、

その1行は聞き捨てならん、

と、問題発言とかになってしまう可能性があるのです。

 

 

僕がこういうふうに言葉選びに失敗したときには、

しまった、と思って

反省します。

 

反省と同時に、

全方位にたいして、

ちゃんとことばを選んでお話している人、

たとえば政治家の人なんかは

凄いなぁ、

と思うわけです。

街頭演説とかに、

あらためてウットリするわけです。

 

もっとも、政治家の人であっても、

言葉選びを一歩間違うと、

本人の意図しない方向に議論が進んでいったり、

本意とはまったく違う捉えられかたや、報道がされたりして、

炎上するときもあり、

(ときには辞任までも)

言葉選びには相当ご苦労をされているのだろう、と思います。

 

政治家の人の発言に比べると、

このブログとか、日常会話とかの、僕の言葉選びのミスなんて

ぜんぜん大した扱いにはならないのですが、

 

じゃあ、だからといって、

言葉選びを間違えたまま今後も書き続けてもいいのか、

といえば、

それは、よくありません。

間違えたままはよくありません。

僕は開き直りはしたくありません。

 

だから、

訂正を入れるところは入れることがありますし、

(非表示にするときもあります)

その反省も踏まえて、

その後の記事については、

より慎重に言葉選びをしていこうと思っています。

 

先ほど申し上げたように、

僕が記事を書くときには、

たいてい、”なにか”のこと、”誰か”のことを

頭の中に思い描きながら書くことが多いのですが、

それでも、

そのときに、

”なにか”のこと、”誰か”のことには関係しない

べつの方々のほうにも気を使い、

いままで以上に、

注意をしようと思っています。

 

 

これには、

日々鍛錬が必要ということだと思います。

 

 

 

 

 

ご覧いただきまして誠にありがとうございました。

 

先日、しまったー、という記事を書いてしまったということに、

いまさらながら気が付いた次第です。

で、自分向けの注意喚起として、この記事を書きました。