華やかさがなくても大丈夫だ、が、

華やかさがなくても大丈夫

 

華やかさがなくても大丈夫だ、

そう思うようにしています。

 

華やかさの定義には人それぞれあると思うのですが、

 

僕にとっては、

華やかさとは、

人を惹きつけるような魅力みたいなもの。

ここでは、そんなふうに定義しておきます。

 

ぱっと見で、

目力が強い、とか、

瞳がきれい、とか。

 

姿勢もよく、

動きが軽やかで、美しい。

 

話をすれば、

その場が確実に盛り上がる。

安定感がある。

みたいな感じでしょうか。

 

ある人なんか、

まだなにも話をしていないのに、

話をしようと席から立ち上がっただけで盛り上がることも

これまでに幾度か遠目に見てきました。

 

話し方にうまい具合の高揚があるんでしょう。

あと、

声のトーンなんかも良いですよね。

 

低めにどっしりとした安定感抜群の、年相応?の声に仕上がっているとか、

または、ラ行くらいの声の高さでテンポよく耳に入ってくるとか。

芸能人や歌手の声なんかは、

アルファー派が出ている、ということも聞いたことがあります。

オーラも。

 

 

 

で、僕はというと、

ラ行の練習は、してもあまりうまくでませんでした。

目力が強いなんて、とんでもない。

それとは逆に、

僕の目を見て、

二日酔いですか?

とは聞かれたことは、これまでに何度かあります。

 

まあ、普通こんな感じなのですが、

誉め言葉も受けたことがあります。

 

たとえば、

僕がいると、

”場が和む”

と言われたことが何度もあります。

だから同席してほしい、

一緒に行きましょう、みたいな。

 

良いほうに受け取れば、

文字どおり、

その場の雰囲気が和むのでしょう。

嬉しい限りです。

 

しかし、裏返しに受け取れば、

いてくれると安心、

僕がいると僕がベッタで、他の人がベッタにはならないから、

安心、安心、皆安心、

で、場が和む。

そのようにも受け取ることができます。

 

結局この”場が和む”については、

良くても、悪くても、べつにどっちでもいいかな、

と思うようになりました。

 

 

華やかさがなくても大丈夫、

そう思うようにしています。

 

が、

その一方で、

華は、ないよりは、断然あったほうがいい、とも思っています。

 

これはたぶん、

僕の場合は、

自分自身で無理を演じていないところ、

自分が楽しいと思えるところで、実際に楽しんでいることをもっと継続していけば、

磨きがかかって、

はたから見ても、なんか華があるように見えてくるのでしょう。

 

 

そんな視点で、

自分の研究と、経過観察をしてみるのも面白そうです。

 

 

 

 

 

ご覧いただきまして誠にありがとうございました。