考えを書く、書いたことが軸になること
考えたことを書いていると、
自分自身に定着すると実感しています。
勉強でも、
実際に習ったことを書いてみたりすると定着しやすいですよね。
それと同じように、
勉強から離れたところでも、
価値観とか、
自分の考え方なんかをどこかに書き留めておくと、
その考え方が自分の軸として定着しやすいなと、
遅ればせながらも、
実感しています。
そして、
その書いたものを、こういった記事にしてさらけ出しておくと、
その効果はより高まるかなと。
軸になってくるんだな、とも。
もちろん、
ここには、
すでに自分の軸になっているものを書くことが
あります。
でも、そうではなくて、
まだ軸として完成していないこと、
若干の理想論的なことも書くことがありますし、
まだ自分自身に完全に定着していないことも
書いたりすることがあります。
”こうありたいよなー”
といった感じのことです。
そういったことも含めて
書き続けていると、
最初のうちはなんだか理想的だなと思えるような考え方が、
いつの間にやら、
理想もなにも、
それが当たり前でしょ、
と思っているんですよね。
先日、
会話をしている相手方から、
誘導的に、外堀を埋められそうになるような会話を仕掛けられました。
むかしの自分だったら、
「まあ、それでもいいんじゃないですか。」
「仕方ないですよねー。」
なんて、他人事で返事していたようなことだったかもしれませんが、
その話しの内容に関しては、
すでに僕のなかで軸になってきていることだったので、
自分ごとで考えて、
ごく自然に、
自分軸に従った返事を返していました。
そのとき僕は、自然に返事を返したのですが、
後になって思い返してみると、
僕自身のその自然さに、
ちょっとした驚きも。
おお、自分の軸になっているやん、と。
べつに狙ってそうなったわけではなく、
ふわふわー、と思った
理想ごととか、
あるべき論のようなことを書いていても、
気が付けば、
それが自然体になっていた。
そんな感じです。
だから、
こういう軸を持ちたいな、とか、
自分の軸を強固にしたいな、とか、
理想を自分の軸にしたいな、とか、
そういった”下心”を文章に載せてみるのもいいかもしれません。
ふわふわーとした理想ごとであったとしても。
自分のものにするために。
それを狙っていくのもアリかな、
なんてことを考えていました。
ご覧いただきまして誠にありがとうございました。
逆に、
こうありたくはないよなー、
こんな生き方の自分は好きじゃないよなー、
ということを称賛するようなことは
書かないようにした方がいいということですね。
それを書き続けていると、
自然と、
いつの間にやら、
自分自身がそっちの方向に向いちゃうわけなんで。
週末の土曜日は、勉強会。
セミナーに参加。
多くの学びがありました。
懇親会も楽しくて楽しくて。
日曜日は、食事会、弦楽四重奏の生演奏も。
音の感度がニブめな僕でも、
演奏者を見て、演奏をきいていると
自然と涙があふれてくるような感覚に。