人の喜びが自分にとっての喜びでいられるという状態を目指しておく

僕がお風呂に入っている間に、

リビングでは、妻と娘がなにやら会話をしているみたいだ。

ときおり、妻と娘の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

 

その会話が僕にはよく聞き取れないので、

内容までは分からないのですが、

 

僕はお風呂の中で、

リビングでの楽しそうな笑い声を聞いて、

つられて笑みを浮かべていることがあります。

 

 

もう一つ、

たとえば、

夕食後のおやつに

イチゴがのったケーキがテーブルに出てきました。

僕はもうお腹がいっぱいだったので、

先に食べててイイよ、と家族に伝えて、

別の部屋で、

読書やら、調べごとやらを、しています。

 

3分の1ないしは、4分の1のケーキが残っていると思って、

僕はテーブルに戻ってケーキを食べようとします。

ケーキはたしかに4分の1残っているのですが、

しかし、残っているのは、

ケーキの底辺のスポンジ部分だけ。

高さが4分の1になっていました。

 

家族は美味しい部分を食べることができたので、

かなりご満悦の様子。

僕は、やれやれ、と。

家族が喜んだのなら、

それで良いやと。

 

 

 

普段から楽しく過ごしている人は、

自分以外の人にも楽しく過ごしてもらいたいと思っている、

と僕は思います。

 

普段から美味しく食事をしている人は、

自分以外の人にも美味しく食事をしてもらいたいと思っている、

と僕は思います。

 

普段から”ラッキー”だと感じている人は、

自分以外の人も”ラッキー”であってもらいたいと思っている、

と僕は思います。

 

たくさんのことをよく知っている人は、

自分以外の人にも、たくさんのことを知ってもらいたいと思っている、

と僕は思います。

 

僕が思っているのと同時に、

これらの人たちは、

僕がそうありたいと描いている、

人物像でもあります。

 

 

さすがに、

冒頭にある二つ目の例の、

ケーキの底の、スポンジ部分だけがもし残っていたら、、、

僕は悔し涙を流しつつも、

口から火を噴いて怒るかもしれませんが。

(たとえ話なので、実際には起こったことはありません。笑)

 

 

仕事においては、

お客様の仕事が順調で、事業が発展していくこと、

仕事に限らずも、

色々なことでうまくいってくれることを、

僕は喜んでいます。

 

 

人間の心理としては、

自分がうまくいっていないと、

自分以外の人がうまくいくのを素直には喜べないようなこともあるでしょう。

 

だから、

僕は、人がうまくいくのを素直に喜べるように、

自分自身が、

同時に、

普段から楽しく過ごす人であること、

普段から美味しく食事をする人であること、

普段から”ラッキー”な人であこと、

たくさんのことをよく知っている人であること、

(これらに限らず色々ありますが、)

を抜かりなく目指しているところであります。

 

 

 

 

 

 

ご覧いただきまして誠にありがとうございました。

 

なにをもって成功とするのかは、人それぞれでしょうが、

人の成功をねたむような人に僕はなりたくはありません。

 

どんな人のプラスの喜びもが自分にとってのプラスの喜びであると感じられるのなら、

その状態は、僕にとっての一種の成功なんだろう、と思ったので書いてみました。