アンコールはないものだと思ってみると、
明日世界が終わるんだったら
何をするだろう。。。
僕も、皆さんも、
きっと、自分の好きなことをするでしょう。
大切な人と過ごすかもしれませんし、
大好きなことに没頭するかもしれません。
ずっと好きだったのに、
ついつい、いつもの日常の中に埋もれてしまって、
いつの間にか、
やりたかったことを忘れていた。
とか、
頭の片隅にはあったものの、
また、いつか、
また、いつか・・・
と、なんども先送りにしていた。
僕に限らず、
そのような経験がある方も
いらっしゃるのではないでしょうか。
好きなことを日常化、ルーチン化できている。
チャレンジしたいことには、都度チャレンジしていられる。
このように、
僕の目指しているところに、
仮に僕自身が辿り着けたとしても、
行動すれば、また次の世界が広がっていて、
人生は果てしないものであると思っています。
老いとは、
挑戦しなくなった状態、
行動しなくなった状態、
という見方があるのだと僕は思うのですが、
たとえ老いていないとはいっても、
体のほうは、
いつまでもつかは分かりません。
今日、
また新たにチャレンジしたいことが出てきた。
でも、
明日世界が終わる。
今日、
昔好きだったこと、やりたかったことを、ふと思い出した。
でも、
明日世界が終わる。
こんなことをに想いを巡らせてみると、
拙速であったとしても、
やりたいこととか、
やりたかったけど、まだやっていなかったこととかに、
手を伸ばしてみるべきなのかもしれません。
手を伸ばした結果、
当たり、はずれは、もちろんあるでしょうが、
やってみなければ、
それが、果たして、
当たりなのか、外れなのかも、
分かりませんし。
悔やむべきは、
チャレンジしなかったこと。
好きなことをしなかったこと。
そして、
好きな人と一緒に過ごさなかったこと。
”明日世界は終わるんだって”
”それならもう”
”その時まで何度でもずっと”
”好きな音を鳴らそう”
僕の好きな曲に、
YOASOBIさんの
「アンコール」
があります。
元々は、
メロディー、リズム、声、が好きでよく聞くようになった曲なのですが、
しだいに、詩にも惹かれることになりました。
休日に、
なんどもこの詩を聴きながら、
いろいろと想っていました。
この曲の詩本来の伝えたいメッセージと、
僕の個人的な解釈とでは、
違うものになるところもあるでしょうが、
僕は、それはあまり気にしていません。
この曲は、
僕にとっては、
大切な人と一緒にいることが幸せだと感じる曲、
それでいて、
切ない涙が出てくる感じの曲なのに、
なんだかやる気がでてくる、
という曲でもあります。
ご覧いただきまして誠にありがとうございました。
”今ここで好きなようにただ音を鳴らす”
僕の住む街の桜が花を咲かせてきました。
満開までは、もう少し先かな。