競争社会の中での成功体験の大切さ

ふと、動画で見たことです。

 

学校の運動会、体育祭などで

順位付けをすることや、上位者の表彰をすることの善悪について、

二人の教師がお互いの主張を語り合っている動画を最近見かけました。

(その動画は、ずいぶん前の動画かもしれません。マスクなしだったので。)

 

 

この二人の教師、

考え方が全くかみあっていないのです。

平行線。。。

 

 

片方の人【Aさん】は、

順位付けを大切にしている人(おそらく体育教師)で、

 

もう一方の人【Bさん】は、

順位付けには全く意味がないという、どこか別の学校の校長です。

 

 

↓会話の主な内容はこんな感じでした。

 

【Bさん】

運動会で順位を競わせているの?

それは、きわめて残念だ。

がっかりだ。

運動はそもそも、運動すること自体が良いことであって、

お互いに競わせることはダメなんですよ。

運動が苦手な子は、順位が下の方になってしまって

そのことで、「ダメな子」という烙印を押されてしまう。

その結果、もう二度と運動をしたくなくなってしまうのです。

 

【Aさん】

子供たち一人一人に目標を持たせているのです。

つぎには少しでも順位が上がるように

努力することの大切さや、

その努力の過程、目標設定を評価しているのです。

頑張ったら順位が上がるし、

お互いの励ましあいの中で成長していくのです。

自分が設定した目標に向かうことの大切さを知り、

自分の力を知り、

克服していくことの大切さを、

経験を通して学ぶのです。

 

【Bさん】

たしかにそれも良いことかもしれないけど、

順位が少しくらい上がったからって、

いったい何の意味があるんだ?

本来の目的は、

運動を好きになってもらって

将来、社会に出たときに

健康のために運動をしてもらうことが大切なのですよ。

順位付けなど全くいらないのです。

 

【Aさん】

・・・・・

 

 

まぁ、結論から言えば、僕はAさん派なのですがね。

Bさんの理論なんてまさに青天の霹靂でした。

もっともらしく聞こえるかもしれませんが、

独りよがりっぽくて、

僕の皮膚には合いません。

 

 

 

Bさんの発言内容を、意地悪く角度を変えてみれば、

頑張った人の努力が報われない世界を良しとしているのです。

Bさん自身は、どのようにして、

いまの校長たる地位を確保したのでしょうか。

本人は一切努力しなかったのでしょうか。

勉強や努力の結果を認められてこなかったのでしょうか。

 

 

運動がだめだったら

自分が得意なほかの分野に目を向けたらいいのです。

その道があるということを教えることも、

良いところや得意なところを一緒になって探すことも、

教育者の役割の一つです。

 

運動会で頑張って上位になったのに

そのことが認めてもらえず、

本当は運動が大好きで得意だった子が、

「順位を認めてもらえない」ことをきっかけに、

「ダメな子」だと自分自身に烙印を押してしまい、

将来運動嫌いになってしまうかもしれないのです。

 

つまり、運動が苦手な子を過度に守ることによって、

将来の可能性がある運動が得意な子を

運動嫌いにさせるかもしれないという

弊害が生じる可能性があるのです。

 

動画を見ながら、そんな疑問がわいていました。

 

ほかにもBさんの勘違いや矛盾について

僕なりの視点で否定することもできますが、

もうここでは省いておきましょう。

 

 

 

競争社会であることは、

税理士試験のときも、

税理士になってからも同じです。

特に税理士の受験生は、

次の競争である税理士業などの「スタートラインに立つため」に、

数点を争う過酷な競争にさらされています。

 

努力なしでも合格できる一握りの天才は置いといて、

ほとんどの受験者は、

「幼い時からの順位付けによる成功体験」や、

「努力により苦手を克服してきた成功体験」を

時折思い出しながら、

猛烈に努力しているはずです。

 

もし、自分の近くに、

勉強しても仕方がない、

仕事を頑張っても仕方がない、

それを続けるための環境に工夫をしても仕方がない、

なんて言う人がいれば

その人とはご縁がなかったということで、

すぐに距離を置きましょう。

そして、合格まで楽しんで勉強を続けましょう。

 

 

ご覧いただきまして誠にありがとうございました。

 

(補足)

Bさんの考え方ですが、

たぶん、「ゆとり教育」ってこんな感じで議論が進んで、

実行してしまったのかもしれませんね。

僕はその世代ではないので、詳細は知りませんが、

その世代に運悪く当たった人には気の毒なので

本人には、ゆとり世代であったことについて

あまり触れないようにしています。

本人のせいでも何でもないので。