人脈という言葉では表現しないでおきたいこと
人脈という言葉があります。
この言葉自体はべつにいいのですが、
人脈を使う、
とか
人脈を活用する、
とか
人脈を整理する、
みたいな言葉遣いになると、僕にはなんだかしっくりきません。
目先の損得勘定を働かせているイメージ、
利己的な思惑があるイメージで、
ちょっと不愉快になってしまいます。
人をなんだと思っているんだ、と。
(僕だけかもしれませんが。)
そこは、
”人と人とのお付き合い”、
とか
”ご縁”
などのべつの言葉に置き換えたらいいのにな、と思います。
「脈」という言葉を付けることによって、
なんとなく金脈を想像してしまうからでしょうか。
(僕だけかもしれませんが。)
使う人の、心の軽さや、
使う人にとっての、都合のよさ、
投資対象、というような感覚も、
同時に想像してしまいます。
一方で、
付き合う人は選ばなければならない、
というのがあります。
僕はこれは大事にしたいと思っていますし、
大事にしているつもりです。
付き合う人たちだけじゃなくて、
まだお付き合いできていない方も含め僕がよく参考にしているすごい人たちや、
ほかにも、今後のお仕事でのご活躍を応援している人たちなど、
さまざまな人たちがいます。
これは先に触れた”人脈”の負の感覚とは別物だと考えています。
もちろんビジネス上の付き合いでは
先ほどの「脈」の概念も全く無視はできませんが、
それでも自分にとって、
とくに僕が応援しているような人については、
まったくの利益度外視でお付き合いとなる人もいたりするものです。
このときには一瞬、ああ、損な性格に育ったなぁ、
と、自分自身にあきれることもたまにはあったりするのですが、
こればかりは仕方がありません。
僕が応援している人については、
今ここをうまく乗り越えていただければと思っています。
ご覧いただきまして誠にありがとうございました。
目先の損得勘定ならぬ、将来の損得勘定と言われることもあるでしょうか。
いえいえ、そのようなことではございません。
付き合う人、参考にする人、応援する人を僕が選んでいる結果なのです。
僕はこれには自信があります。