等価交換の考え方

等価交換という考え方があります。

 

パチンコ・パチスロの

4円玉・20円コインを交換するときのはなし

ではありません。

 

等価交換

たとえば、

僕がある人から贈り物をいただいたので、

じゃあ、そのお礼をしよう、と、

僕がその人に対して、

いただいた贈り物と同じくらいの価値のものを贈り返す、

みたいな行為です。

 

 

お中元をいただいたので、

じゃ、次はこちらからお歳暮を贈っておこう、

みたいな感じです。

 

新米が届いたので、

栗を贈るとかでもいいでしょう。

みかんでよくて、モノはなんでもいいと思います。

 

また、モノではなくて、

サービスでもいいですし、

有益な情報でもいいでしょう。

 

誰かを紹介していただいたので、

こちらからもべつの誰かを紹介しようとかも。

色々あると思います。

 

そんなふうにして、

最初のうちは、

今回は僕から、次は相手から、じゃまた僕から、じゃ相手から・・・

といった感じで等価交換が順番に始まって、

それがなんども繰り返しされていくうちに、

 

あるときから、

はて、次の順番は僕だったっけかな?

次はもらう側だったかな?

次は贈る側だったかな?

みたいなことが生じることがあります。

だんだんと順番が分からなくなってくるのです。

 

僕がしっかり覚えていても、

相手方のほうが忘れているかもしれません。

そのときに、

いつまでたっても返礼品が来ないじゃないか、

と僕がソワソワ、イライラしている関係なのか、

それとも、

まっ、どっちでもいいや、と思える関係なのか。

 

逆に、

僕が自分の順番を忘れてしまっていたけど、

相手方はしっかりと、次はもらう順番だということを覚えていて、

僕からの贈り物を、

まだか…まだか…、

と待っている関係なのか、

それとも、

順番なんてどっちでもいいやと、追加でかぶせて贈ってくる関係なのか。

 

最初のほうは、

失礼が無いように、等価交換を成立させようと、

お互いに気を使いながら、

ある程度は順番を覚えていることのほうが多いのかもしれませんが、

それがだんだんと”親しさ度”が増してくるにつれて、

順番などが関係なくなる。

 

このように、

”親しさ度”が増してくるにつれて、

順番などが関係なくなるのだ、ということを、

何年も前にある方から教わったことがあります。

そして、ここを目指そうとも。

 

僕はこれは、そのとおりだと思いました。

 

 

親族関係なんかで例えると、

そのことがより分かりやすいでしょうかね。

 

田舎(実家とか)から野菜が届いたときに、

もらった野菜と同じ金額くらいの都会の品を送り返さなきゃ、とか

次は僕の順番だ、そわそわ、

なんてことには、まずなりません。

お互いに順番について気を使う相手ではなくなっているからです。

”親しさ度”はMAXでしょうし、

”親しさ度”という定規を使うことすらはばかられるくらいです。

 

 

そこで、ほんとうに相手方と親しくなりたいのであれば、

狙うところは、

この、

お互いに、順番が分からなくなる関係性だということです。

交換が等価ではなくなっても、

順番が逆になったとしても、

それが気にならない関係性だということです。

まあ逆説的には、

親しくなることを”狙う”という時点で、そんな関係性にもなりにくいのかな、

という思いも一部ありますが。

 

少なくとも、次はどっちだろう、とか

等価とはどのくらいだろう、とかに気を配っているうちは

まだ”親しさ度”が十分ではないけれど、

順番や等価がぐちゃぐちゃに混じり合った関係性になれば、

それは親しい関係性であることには間違いはないかと思います。

 

 

 

 

ご覧いただきまして誠にありがとうございました。