手のひら返しを狙っていたときのこと

学校を卒業してすぐ入った会社で、

最初に配属になった場所は、

当時、僕が全く知らない土地、

茨城県内でした。

 

もちろん聞いたことはあったし、

場所はおおよそ分かるものの、

でも、具体的にはどこなんだ?

と地図で郡町の場所を調べたのを覚えています。

 

実際に赴任してみて、

ビックリしたのは言葉。

言葉が通じないとは。。。

会社の独身寮に入ったのですが、

到着して早々、

食堂のおばちゃんが僕に向かって話しかけているのですが、

何を言っているのか、

ぜんぜんわからない。。。

何度聞き直してもおなじ。

(当時の僕は関西弁オンリー)

 

汗がでてきましたが、

最後にはお互い大笑いしていました。

 

わがんねーか。

いーんだ。

 

今ではいい思い出ばかりなのですが、

 

当時はまるで

地獄のような日々。

 

仕事で、です。

 

直属の上司にこっぴどく叱られて。

朝から晩まで、怒鳴り散らされて。

 

茨城では、当時(今も?)、頻繁に地震があって、

小さなゆれなどは、全く気にもしなかったのですが、

そこそこ大きなの(震度3くらい~)があると、

仕事の隣の席の人たちと顔を見合わせて、

今のすごがったねー

ゆれたねー

などとワーワー言葉を交わして笑いあっていたものでした。(当時)

 

僕はといえば、

そのゆれの間も、

ぐっと涙をこらえて、

ただひたすらタイプを打つ。

斜め後ろ上方向から、怒られる。

タイプを打つ。

怒鳴られる。

タイプを打つ。

紙を破かれる。

この繰り返し。

 

こちらのゆれのほうが酷かったですね。

(赴任当初は、まだNACCS(通関のシステム)がなくて。紙に打ってました。)

 

上司が「超」体育会系で、

部活動のまんま出勤してこられたような指導だったのです。

 

 

 

しかし、

このような上下関係は長くは続きません。

 

結論的には、

2年くらい後には、

ところどころ、立場が逆転していたようにも覚えています。

呼びすてから、さん付けに。

まさに、手のひら返しでした。

 

もちろん、

僕のほうは引き続き先輩を頼りにしていました。

僕への攻撃はもうなくなっていたので、

ガードとして。

防御でも力強い存在でいらっしゃいました。

 

 

 

手のひらを返してもらう。

 

それからというもの、

手のひら返し(をしてもらう)というのは、

会社生活において、

僕の狙うところとなりました。

 

地味な僕が、

いつか、いつか、

手のひらを返していただこう。

地味に自分の腕を磨きながら、

考えていたところであります。

 

 

コトの真っ最中のときには、

ありがたい、

などとは

まったく感じもしませんが、

 

過去のことになれば、

ものはとらえようで。

 

”経験値”として、

ありがたい存在だったなぁと。

 

 

このようなところにおいては、

僕は当時を無駄にはしていません。笑

 

たいていのことは、

あのときよりもまだマシ、

すでに耐性はある、

になっているかと思います。

 

 

 

 

 

ご覧いただきまして誠にありがとうございました。

 

もっとも、

今回お話ししたような経験は、もうアレッキリでいいですね。

もしもふたたび出会ってしまったとしたら、

(独立したから、もうないですが、)

はい次、で

僕は別ルートで先へと進むでことでしょう。

 

 

早くとっけーてだいじょうぶだっぺ。